スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

4月, 2019の投稿を表示しています

霞ヶ関文学の劣化ぶりを垣間見る——『一事が万事?』——

おはようございます。 ちょっと古い(半年前くらいの)トピックなんですが、看過できないものを見かけました。そこで所感をまとめておきます。 【経済産業省】:DXレポート ~ITシステム「2025年の崖」克服とDXの本格的な展開~ https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_transformation/20180907_report.html どうも、あまりにも問題が多すぎるレポートです。 ですから『本文』.PDF の 27 ページに話を絞って、分析します。 https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_transformation/pdf/20180907_03.pdf 『(注)経済損失の算出根拠』からの文章を、じっくりとお読みください。 私見では、まことしやかに数字を列挙しながら「試算」を進めている、この注釈。 論理的な妥当性には、かなり乏しいです。 この「試算」は、3 つの統計調査の引用でできあがっています。 情報処理推進機構(ベースは他社による調査) 日経 BP 社「日経コンピュータ 2017.8.3」の記事 日本情報システム・ユーザー協会「企業 IT 動向調査報告書 2016」 ですが、それらを並べて試算している、そのやり方が微妙にオカシイのです。 まず、これは前提として(仕方なく、)仮に許しましょう。 1. > データ損失やシステムダウン等の システム障害により生じた 2014 年 1 年間の損失額は国内全体で約 4.96 兆円。 つまり、既に 5 年前の段階で年間あたり約 5 兆円の損失を(レガシー系に代表される基幹系システムは)計上している訳です。  次に、ここが要注意です。 2. > (1)セキュリティ 29.1%、 > (2)ソフトの不具合 23.1%、 > (3)性能・容量不足7.7%、 > (4)人的ミス 18.8%、 > (5)ハードの故障・不慮の事故 19.7%。 > レガシーシステムに起因して起こる可能性があるのは、仮に、このうち (1)・(2)・(3)・(5) と

『神のゲーム』

おはようございます。 またまた御無沙汰しております。 今朝はこんな、“Nature” への投稿を見かけました。 有料会員ではないのでアブストしか読んでませんが、若い頃考えていたことをふと想起しましたので、ちょっとメモしておきます。 https://www.nature.com/articles/s41586-019-1043-4 私は世代的にそうなのか、御多分にもれず gamer 世代です。 とある失意をきっかけに一切コンピューター・ゲームをしなくなりましたが、やっぱり「ゲーム」の影響は強く、一方では SF 小説の乱読もしていたので、ずいぶんと夢見がちな学生でした。 わたしは卒業研究(Inverse Kinematics の implementation)のかたわら、ゲーム業界に就職できないものかどうかと企画を練っていました。そのとき思いついたのが『進化ゲーム』です。それは当時流行だった『複雑系』や『遺伝的アルゴリズム』といった概念をエンターテインメントのかたちに落とし込んだ『社会シミュレーション』のゲーム企画でした。 タイトルは『だいばーしちー』でした。 詳細は省きますが、わたしは『人類の進化の歴史』に強い興味を覚えていたのです。 そして、それが今後どのようになるのかにも、若干の危惧を伴いながら希望を抱いていました。その『仕組み』が知りたかった。 それよりちょっと昔に『ぶたさん』という、たいへん愉快なゲームがありました。 ぶたさんたちが爆弾を投げ合う無差別ドッジボールのような。 わたしはそこで『薬』と『毒』を投げ合うゲームにアレンジしたらどうなるか、夢想しました。 世に「酒は百薬の長」とも「百毒の長」とも申しますが、あんな感じです。 しかも 薬は薬として効くことが多いが毒にもなる 毒は毒として効くことが多いが薬にもなる ことを『だいばーしちー』の基本ルールとしました。 プレイヤーは n 人で、それぞれ、いくつかの属性に代表された「性格」を持っています。 怒りんぼだったり、のんびり屋さんだったり。 利他的だったり、利己的だったり。 薬が効きやすかったり、毒が効きやすかったり。 これは「贈与と収奪」のゲームです。 そして、隠れ属性として、カンタンな遺伝子コードを持たせます。 面をクリ

「子供向き」には留まらない想像力

今晩和。 実は Scratch で細々とした作例を積み重ねています。 どうですか、これは? https://scratch.mit.edu/projects/284763417 これは惑星軌道(今回は地球と金星)のあいだに線分を描画しつづけたときにできる『軌跡』です。惑星半径や公転周期などは『理科年表』を参考にしました。有効数字(数値としての具体性)を 5 桁ぐらいにしたら、こんな綺麗な模様ができました。桁数を下げると、また、似て非なる模様になります。 「子供用」とされているプログラミング環境でも、発想次第でいろんなことができる。 自戒とするところです。

挑戦権をみずから放棄した社会

御無沙汰しております。 お元気でしたか? こちらは本業の案件が二転三転しており、なかなかやるせない日々です。 そんな日々の中、書物を紐解いています。 先程読み終えたのが、あの新井 紀子 先生の 『AI vs. 教科書が読めない子供たち』 という警醒の書です。 たいへん愉しく読み進めたのですが、同時に、自分は文章を「読解」できているのか不安になりましたね。『帽子をかぶった女の子がいる』の例題で誤答してしまったためです。命題として考えれば対偶を取ったり、ベン図(集合論)を書けば理解できそうなことをサボって間違えてしまいました。 わたしは近年、教育分野に関心を持って活動してきたのですが、その過程での流行り廃りで、「リメディアル教育」だの「早期英語教育」だの、「アクティヴ・ラーニング」「リベラル・アーツ」「プログラミング教育」といったキャッチ・フレーズが巷間を賑わせてきたのを眺めてきました。 ですが、そういったキャッチ・フレーズたちは表面を撫でるようなものでしかなく、結局(新井先生の言うとおり) 『文章の読解力こそが決め手』 であることに得心しました。 まあ、自分も御多分にもれず AI 関連技術(GAN とか RNN とか)は独学しています。 めざましい躍進が各所から伝えられているのは、みなさんも御存知の通りです。 ですが、そういった華々しいところからは見えない 『本質的困難さ』 、これを直視しなければなりません。 自分は高校の頃、神林 長平の『敵は海賊』シリーズなど SF を愛読して、人工知能研究者を目指していたのですが大学入学直後、『人工知能辞典』でドレイファスの否定的見解にふれ、そこから迷走を始めました。'92 年の話です。当時はマシン・パワーも現代に比べ格段に非力で、取り扱い可能データ量も少なく、今日のように機械学習(深層学習)が力を発揮することなどありえませんでした。 ですから、いまの AI 関連トピックを傍らから眺めていると、隔世の感が強いのです。 それで多少は手遊びで、それらの技術を独学しているのですが、どうも、わたしにはここまでの blank を catch up できるだけの才能はないようなのです。 ですが、個人的にまだまだ生き残らなければならない理由がある